~ 2019年度の学び ~

 

   「コヘレトの言葉における礼拝 ― 人生の空しさを超える道」       2019年10月 瑞浪伝道所 学びの資料

 

              コヘレトの言葉3章1~22節                         代理宣教教師 小野静雄

 

1.謎めいた書物「コヘレトの言葉」

コヘレトの言葉は、旧新約聖書全体の中で、最も謎めいた書物と言わねばならない。この書物を書いた人物は、世界と人生の深い謎に直面している。そして、人生を生きることが、本当に意味あることなのかを、正面から問いかけているようである。生きることの労苦、そこから生きること自体への問いが生まれてくる。労し、苦しみ、耐え忍び、嘆きつつ生きること。そこに一体いかなる意味があるのだろう。生きることの確かさは、どこで約束されているのか。コヘレトの言葉を読むとき、はたしてこの人物の人生の中で、神はどのような場を占めているのかを、深く考えさせられる。その意味で「コヘレト」は、イスラエルの伝統的な信仰を、素朴に受け入れる人ではない。むしろ、そうした伝統的な信仰を、一度、徹底して疑ってみようとしているのではないか。

神を信じることは、まことの幸いの基礎である――これが聖書をつらぬく神への信頼であり、またそのように神を信頼することによって、人生への信頼も生まれてくるはずである。しかし、「コヘレト」には、神と人生への素直な信頼を見いだすことはできない。「人は、裸で母の胎を出たように、裸で帰る。・・・労苦の結果を何ひとつ持って行くわけではない」(5章14節)。これは、一見するとあの「ヨブ」の告白に似ている。しかし、苦難のただ中から懸命に神への信頼を貫いたヨブの信仰とは明らかに違う。コヘレトの言葉は、どこか投げやりであり、ふて腐れているようにも見える。もしこの人が、最後までその「ふて腐れ」の人生観を捨てないなら、コヘレトの言葉から「礼拝」について学ぶことは何ひとつないことになる。そしてそうであれば、このような書物が、聖書正典に含まれる意味も失われることになる。はたしてそうなのか?

 

2.「コヘレト」の目に映る人生と世界

コヘレトの言葉が第一に伝えるのは、世界と人生の「空しさ」である。「ヘベル(空しさ)」という言葉は、カインの弟「アベル」の名と同じである。霧、水蒸気、などの意味をもつとされる。さらにそこから、「無意味」「無価値」「無力」「はかなさ」、などの意味が生まれる。世界と人生には、このような「無意味」「はかなさ」が満ち満ちている。それが「コヘレト」という一人の知識人の人生観の根本をなしている。その空しさは、個人的な人生だけでなく、世界や宇宙をみるコヘレトの理解にも、はっきりと顔を見せる。コヘレトにとって、「太陽」はどのような意味を持っているか。「日は昇り、日は沈み、あえぎ戻り、また昇る」(1章5節)。太陽のうごき、風や水のうごきは、はてしなく続くが、そこにどんな意味があるかを見極めることができない。

このように、コヘレトが直面している「空しさ」は実に徹底している。人間がいだく憧あこが れや期待、喜びや満足、そうしたことすべてが、コヘレトにとっては「空しい」。この空しさは、単なる理屈ではなく、この人が人生体験から生まれてくる実感である。それだけに、この空しさをねじ伏せるのは極めて困難である。人が何かを希望し、そのために努力し、何事かを達成する。しかし、すべては浮き沈みの中にある。これこそ人生の確かさだ、と言えるようなものを味わうことはできない。みな水蒸気のようである。これほどに全てが空しいのであれば、生きることの喜びや満足を味わうことは不可能である。どんな経験も、最後は欲求不満に終わってしまう。このように、「コヘレト」の前には「空しさ」という見えない壁が立ちはだかっている。はたしてこの見えない壁をのりこえることはできるだろうか。

世界と人生が、本当にどこまでも「空しい」ものか。それとも、空しく見える存在の背後に、空しさを超えて行く道を見いだすことができるのか。その境界は、コヘレトにとってきわめて微妙である。コヘレトは、人生が「太陽の下もと」にあると言う。もちろん、コヘレトにとっての「太陽」は、世界の希望であるよりは、世界と宇宙の不可解さを示すものである。太陽も風も川も、確かな希望を与えてくれる実りある自然とは言えない(1章6、7節)。しかし、それにもかかわらず、人生が「太陽の下」にあるという理解は、コヘレトの人生観に光をもたらす。太陽の下にあることは、光のもとに生きることである。どれほど困難で、労苦に満ちた人生であっても、太陽の下に生きるかぎり、すべてが闇に包まれることはない。太陽の下にあるものは、神の創造の恵みと無関係ではないからである。人が人生の「空しさ」を超えるには、何よりも神による「創造」の恵みを受け入れることが重要である。創造を知らない人生には、本当の意味と希望が生まれないからである。

 

3.「コヘレト」は幸いに満ちた礼拝体験をもたない人?

コヘレトにとって、人生は謎だらけであり、どのような労苦も決して「空しさ」を解決するものではない。この人が感じている「空しさ」は、日本人の心に流れる「無常感」とは別物である。たんなる気分や情緒としての「空しさ」でなく、もっと堅固なものである。つまり、創造の神を見上げながら、なおもコヘレトの心には空しさという嵐が吹き荒れている。このような空しさから、人生を救い出すには、神礼拝という道を進む以外に方法はない。しかし、不幸にしてコヘレトは、味わい深い礼拝、喜びと充実の礼拝生活の経験をもたない。

「コヘレトの言葉」にも、数は少ないが「礼拝」にちなむ言葉が見られる。「神殿に通う足を慎むがよい。・・・供え物をするよりも、聞き従う方がよい」(4章17節)。コヘレトは、イスラエルの伝統的な礼拝生活に不信感を抱いているように見える。儀礼的な礼拝に意味を見いだすことはできない。「焦って口を開き、心せいて、神の前に言葉を出そうとするな」(5章1節)。コヘレトは、神の前で「言葉」がどんな意味をもつかを疑っている。言葉より沈黙が、神の前に意味があると言うのである。「悪人」と見える人が「聖なる場所に出入りする」一方で、正しい人が世間から見向きもされない(8章10節)。そうした不合理と矛盾を知っているので、礼拝へのまっすぐな信頼をもてなくなっているように見える。

 

4.「コヘレト」は、まことの礼拝へと私たちを導く

「コヘレトの言葉」3章は、時間と永遠、という重要な主題をもっている。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある」(1節)。そして以下に、人が経験するさまざまな「時」の一覧表がしるされる。これらの時は、どれもみな、人生にとって決定的な瞬間である。人生の意味や恵みが、これらの時のもとで定められる。これらの時を、人は自分で選んでいるのではない。神によって定められた時があり、人はそれに従うだけである。これも、受け取り方によっては、「時の空しさ」を訴える言葉とも読める。しかし、決してそれだけではない。これらの「時」が、みな神の支配のもとにあるとすれば、人は自分の限界のなかに静かに留まり、「神の時」が来ては去るのを受け入れるべきである。「生まれる時」も「死ぬ時」も自分では選べない。これを「あきらめ」と見ることもできるが、人生を支配する神への受身の姿勢、神への従順と見ることもできる。「時」は、一つの意味しか持たないのではなく、両義的なのである。

「神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる」(11節)。ここでは、神の時への深い信頼が語られている。神が全ての時を導き、支配されるので、人はそれを「時宜にかなう(時にかなって美しい)」ものとして受け入れることができる。それこそが、コヘレトの求める真実の知恵であろう。もとより、コヘレトの入り組んだ思想と人生にとって、事はそれほど簡単ではない。時が神によって支配されるかぎり、人は自分の人生を遠くまで見渡すことはできない。そこから、人生は見通しのきかないもの、という不平・不満・つぶやきが生まれる。見通しのきかない人生は、秩序を失う。無秩序こそ、生きることの不確かさそのものである。そこには、人生のまことの目的が見えない。目的のない人生に耐えることはできず、またそのような人生に耐えてはならない。これが、コヘレトが私たちに突きつける問いである。人生を無意味さから救うのは、まことの神を知り、この神を礼拝することである。

見通しのきかない人生。その代表が、すべての人に突然おとずれる「死」の現実である。「命あるものよ、心せよ」(7章2節)。死を覚えよというのである。コヘレトの見るところ、人の死と動物の死の間に何の違いもない(3章19節)。避けることのできない死の前では、どんな知恵も無力である。人生は、束の間のものであり、いわば一時の「借り物」である。自分が一人で生きているような愚かな錯覚をいだいてはならない。特に若者は、時間と人生が自分の所有物であるような錯覚をいだきやすい。コヘレトは、時がすみやかに去ることをすでに経験した。だからこそ、若者への勧告は切実な響きをもつ。「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」(12章1節)。死を覚え、そして主を忘れるな。これが、コヘレトが若者に伝える人生最大の知恵である。そして、このような知恵に達する道は、神を礼拝する人生を深めるところにのみ開けてくる。コヘレトの言葉は、人生の見通しの悪さ、すべてが空しいという痛切な訴えをとおして、私たちを神の前に連れ出してくれる。造り主を礼拝する確実な人生へと、私たちを招いているのである。

 

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礼拝を考える「詩編における礼拝 ― 礼拝と行動の導きとして」     2019年9月1日 瑞浪伝道所、学び資料

                  詩編148篇                            代理宣教教師 小野静雄

 

1.聖書の中で「詩編」はどのような意味をもつか?

9月の礼拝から、何度か『詩編』による説教をと願っている。その準備の意味もこめて記してみたい。

詩編と礼拝の関係を考えようとすれば、根本的には全ての詩編を読み、理解することが必要であろう。それほどに、礼拝をめぐる多くの主題、多くの恵み、おびただしい教えを含んでいる。詩編は、旧約時代の礼拝から、ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)を経て、キリスト教礼拝へと歌い継がれてきた。詩編は、祈り、賛美、慰め、教え、そして戒めと導きの書である。キリスト者の信仰と礼拝、日々の祈りと行動にとって、数え切れないほどの恵みを注いでくれる。

カルヴァンは、詩編注解の序文で、詩編にこめる自分の思いを述べている。「わたしはこの書物を、魂のあらゆる部分の解剖図と呼ぶのを常としてきた。なぜならば、あたかも鏡に写すように、その中に描写されていない人間の情念は、ひとつも存在しないからである。・・・ここにおいて預言者たちは、神に語りかけつつ、その内的心情のすべてを打ち明け、その限りにおいて、われわれひとりびとりに自分自身を反省するようにと呼びかける」。

詩編は、旧約聖書のなかでも「要かなめ」の位置を占める。つまり旧約聖書に描かれている、さまざまな主題、出来事について、詩編はさまざまな角度から深く豊かな光を当てている。たとえば天地創造、出エジプトの救い、王国の形成とそこからの転落、イスラエルの栄光と苦難、エルサレムという都の霊的な意味と喜び、さらにダビデという王に向けられるメシア的な期待などがあげられる。個人としての人間の苦難と慰めについては言うまでもない。詩編は、旧約聖書の中心であるだけでなく、新約聖書の使信にも届く深い霊的な意味を、私たちに語りかける。その理由の一つは、詩編の大きな主題が、神の臨在りんざい という信仰だからではないか。神が共にいます。それは、旧新約聖書全体の、最も重要な主題である。そして詩編は、聖なる山シオンにおける主の臨在から、その深さ、確かさ、滋味栄養を、汲み取っているのである。

詩編は、イザヤ書と並んで、新約聖書にもっとも多く引用される旧約の書物である。詩編は、新約聖書の「キリスト信仰(キリスト論)」に、大きな光を投げかけている。キリストが洗礼を受けられたときも、詩編の言葉が光を当てる(2編7節「お前はわたしの子」)。主イエス・キリストは、十字架の苦難のもっとも深い表現を詩編から取られた(22編2節ほか)。詩編は、地上の王国だけに光を当てるのではない。イエス・キリストにおいて始まる永遠の王国への賛美と祈りも、そこに歌われているのである。

 

2.詩編が礼拝にもたらす恵みとは?

詩編が、礼拝に対してもっている大きな貢献は、何よりも詩編が、唯一のまことの神を確かな信仰で描き出していることである。神がどのような方であるか。それを最も深く、慰めに富む言葉と思想で描いている書物が詩編である。礼拝は、何よりもまず、神を神として知り、あがめ、賛美することである。だから、神を知ることなしにまことの礼拝を献げることはできない。「神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない」とキリストが教えてくださった通りである(ヨハネ福音書4章24節)。そしてこの真実な神が、人間、とりわけ御自身が愛し選んでくださった「神の民」と、どのように出会ってくださるか。神との出会いの、あらゆる姿が詩編に描き出されている。

詩編は、人間とその社会が、どのような弱さと罪、光と影に包まれているかを描く。強い人間と弱い人間が住むこの世界が、私たちにどれほどの重圧をもたらしているか。人はしかし、神によってどれほどの希望を慰めを受けているか。神への信頼が、人間の試練と弱さのなかで、どのような助けをもたらすか。試練のときには助けを求め、喜びのときには感謝をささげる。そのために必要な注意深さは、詩編から最も豊かに学ぶことができるはずである。罪をおかしたとき、いかに悔い改めるか。赦しが、どれほどの平安を私たちの魂にもたらすか。これらを理解することは、私たちの礼拝に大きな方向付けと豊かさを与えるに違いない。その意味で、詩編に学ぶことなしに、礼拝の意味と恵みを学び取ることはできない。

詩編は、決して人間の情緒に訴える言葉ばかりを集めたものではない。もちろん、詩編は人間の感情を無視してはいない。それどころか、詩編以上に豊かに、人間の感情生活を描き出す書物を、聖書のほかの箇所に見出すことはできない。しかし、詩編は感情に流される言葉ではなく、自分の感情にいつまでも固着する歌でもない。詩編の言葉を祈るとき、私たちは、自分の感情という小さな部屋から、神のいつくしみというより大きく、より確かな恵みの部屋へと連れ出してもらう。どんなに苦しい胸の内を語っているときも、一旦、神の救いと勝利が宣言されるや、詩人のこころは、その神の言葉に自分自身を完全に明け渡す。礼拝する者は、自分の感情と主観を絶対視ぜったいし することから解放される。

詩編における礼拝。その目指すところは、神の御名があがめられることである。つまり詩編の信仰の背後には、神の栄光へのあこがれがある。詩編の背景には、神を唯一の神としてあがめる神学がある。その神学の中心が、神の御名である。詩編では、「主(ヤハウェ)」という名をもつひとりの神が、たえずあがめられ、歌われている。ご自分の民を愛し、苦難から救い出すのは「主」という名のひとりの神である。この神が、祈る民を生み出し、神を知る喜びで民のこころを満たす。礼拝は、その意味でもっとも深い意味で「神学」の場である。礼拝は、聖書の全体から神を指さす。そしてまさに詩編は、その初めからおわりまで、「主」を指さすこと以外に、関心を示していないと言って過言ではない。

 

3.礼拝の歌としての詩編 ― 祈りと賛美

詩編が、私たちの礼拝に与える恵みは、公同の礼拝にも個人的な祈りにもあてはまる。すでに述べたように、詩編を祈ることによって、礼拝は個人的な感情の流れから、神の恵みと真実を見上げる頌栄しょうえい へと導かれる。それは、詩編が創造から終末へと向かう救いの歴史の全体を、視野に入れているからである。詩編は、天地をつらぬく神の言葉に満ちている。その教えは、神の民を支え慰め、自分がどのように確かな救いの道を歩んでいるかを知らせてくれる。ルターは、多くの人が考えているように詩編を「柔らかな食物」と考えることに反対した。詩編は固い食物である。これを祈り歌うことによって、まことの神を知ること、神に服従する信仰、試練にまけない信仰の告白へと導かれる。

言い換えると、詩編を祈る人は、ときには自分の思いに逆らって祈ることを求められる。詩編119篇が、すべての節で、神の教え・律法・戒め・さばき・道、などを指さしているように、詩編の信仰の「軸」には、ゆらぎというものがない。私たちの祈りが、つねにゆらぎつつ、正しい祈りの道からそれてゆきがちなのにくらべて、何という大きな違いだろうか。詩編を祈ることによって、人は自分のこころの働きを一時的に中断して、神のこころの中へ招かれる。神との交わりの中心に招かれる。詩編が、神の子イエス・キリストの祈祷書であったことを思えば、それは当然の恵みである。詩編において、御自身の試練と喜びを、まったく神に委ねることができたのである。だからキリストにある信徒もまた、詩編においてこそ、神との真実な交わりへと導かれる。

詩編が、教会の賛美のなかに占める意味の大きさは言うまでもない。詩編を歌うことは、キリスト教会での最古の音楽であり歌であった。キリスト者は、神を賛美し、礼拝するとき、つねに詩編を用いてきた。賛美歌の研究者は、キリスト教賛美歌の中に、詩編がどれほど溶け込んでいるか、私たちの想像を超えると言う。一つだけ例を挙げるとすれば、ルターの「神はわがやぐら」と詩編46篇の関係を考えれば十分である。カルヴァンは、礼拝における詩編の歌唱のために力を尽くした。ジュネーブ詩編歌を歌うことによって、改革派教会の礼拝伝統にしっかり立つことも、私たちの大きな喜びである。神の言葉である詩編を歌いながら、御言葉に耳を傾ける。歌うことと沈黙することが一つになる。そこにも、礼拝における賛美の意味が明らかになる。神に聴くことと、神に語ることが一つになる。それが詩編歌の祝福である。

 

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     礼拝を考える(21)「ヨブ記における礼拝 ― 苦難の底から神をふり仰ぐ」  2019年6月 瑞浪伝道所 学び資料

            ヨブ記1章1~22節                                        担当 小野静雄

 

1.人は、利益もなしに神を敬うでしょうか?

ヨブ記は、旧約聖書の中で、最も親しまれている書物である。しかし、親しまれることと、正しく理解されることは、かならずしも同じではない。ヨブ記は、高い峰と深い谷間をもつ信仰告白の文書である。その細部までを理解することは、ほとんど不可能とも言える。しかし、ヨブ記の文学・思想・宗教のさまざまな深みを学び取ることは、ここでの課題ではない。ヨブ記において、礼拝がどのように考えられているか。それを理解するためには、かならずしもその深刻な思想の全体を究める必要はない。礼拝の問題は、神と人の関係である。人が神の前にいかに歩むか、そして神は人間の礼拝をどのように受け入れてくださるか。こうした点からみると、ヨブ記にはいくつかの重要な礼拝理解が示されていると思われる。

ヨブは、誠実な信仰に生きる人であった。その人生は、神の祝福を受けて、何一つ不足のない生活に見える。そのような幸福に囲まれた生活の中でのヨブの礼拝人生が、まず描かれている。ヨブは、自分の子らが、知らず知らずの内に「罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」という懸念けねん を抱いていたという。この息子たちが犯した「かもしれない」罪のためにも、ヨブは「いけにえ」を献げることを忘れなかった。いわば、礼拝者としてのヨブは、きわめて注意深い、用心深い人だったと言えよう。しかし、その用心深さは、もしかして「サタン」に付け入られるような種類のものであったかも知れない。

サタンは、ヨブが信心深く生きているのは、神によって多くの祝福を受けている見返り・返礼だと考えた。ヨブ記では、信仰は「神を畏れる」ことと理解されている。神への畏れは、ヨブにとって幸福に生きるための手段だ、とサタンは主張する。ここに一つの問が生まれる。人は、ただ神が神であられるゆえに、神を畏れるだろうか。礼拝を、いかなる幸福の手段ともみなさない、純粋で素直な信仰は成り立つだろうか。人は「利益もないのに神を敬うでしょうか」。礼拝は、何か別のもの(例えば人生の幸福)と等価交換されるものか、それとも礼拝は、人生のいかなるものとも取り替えられない、純粋な神への賛美となりえるか? これが、サタンから神への問いかけであり挑戦であった。

 

2.苦しみの中で、もう一度神と出会う

ヨブは、このような深刻な問題のなかに突然ほうりこまれる。まず財産が奪われる。次に子供たちが災害に見舞われて失われる。ヨブには、自分や家族がこのような苦難を味わう理由がまったく分からない。理解できない苦しみ。それは、何よりも人を深く悲しませ、傷つける。ヨブは深く傷ついている。そうした苦難のなかで、ヨブは魂のそこからしぼり出すような信仰を告白している。「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」(1章21節)。「神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか」(2章10節)。

ヨブが失ったものは、どれもヨブが生まれたときには持たなかったものであり、ヨブが地上を離れるときには、それらすべては与えた方に返すべきものである。こうしてヨブは、時間の中で得たものを、時間のなかでことごとく失ってしまう。しかし、見方を変えれば、神はヨブに永遠なものを与えようとして、時間に属するものを取り去ろうとしているとも言える。地位、名誉、財産、知識、家族、健康など、地上の生活にとって必要と考えられるものは、決して少なくない。そうしたものが失われることは、誰にとっても耐えがたいことに違いない。しかし、それらが奪われることによって、かえって永遠の世界、真実の世界への視野が開かれることも、疑いえないのである。ヨブ記は、神がこうしたぎりぎりの苦難を人に与えることによって、信仰と人生の最も深い課題を、私たちに問いかけている。

このような苦しみに出会うとき、私たちにとっても「礼拝」の意味があらためて問われることになる。神礼拝は、神が与える幸福と引き換えに行われる。それがサタンの宗教観である。このような人生の理解からすれば、苦しみの中で礼拝すること、嘆きつつ神を賛美することほど愚かなことはない。神が、それ相応の幸福と恵みを与えないのであれば、人が神への畏れをいだき、祈りや礼拝に打ち込むことは馬鹿げたことと言わなければならない。しかしそうだろうか。もし、サタンのような人生観、宗教観をもつのであれば、主イエスが「悲しむ人々は、幸いである」「義に飢え渇く人々は、幸いである」などの祝福はあり得ないことになる。

しかし、考えてみれば、私たちの人生には、大なり小なり、暗い谷間があり、険しい山道が待ち受けている。いわば人生という峠道には、大小さまざまな穴ぼこが口を開いている。そして、その暗く冷たい穴の底からは、暗く冷たい風が吹いてきて、私たちの人生の日々をおびやかすのである。ヨブが味わった苦しみは、人間に襲おそ い掛かるそのような苦しみと暗い穴の集合である。体の弱さ、人間関係の行き詰まり、経済的な破綻はたん、不慮の災害、家族のだれかが病むこと。それをとっても、私たちの生活をおびやかすものが満ちている。生きることは、そのような恐怖といつも隣り合わせである。

もちろん、そのように人生の道に口をあけた穴をふさぐことも必要である。しかし、同時にそうしたすべての穴をふさぎきることは誰にもできない。むしろ、その暗い穴から、何が見えるかということが、礼拝に向かう私たちの心を励ますことがあるのではないか。穴の開いていないとき、つまりさまざまな幸福に恵まれ、なに不自由ないときには決して見えなかったものが、その穴を通して見えることがある。健康であったときには分からないことが、病むことによって見える。ヨブが味わった苦しみの中で、ヨブはたしかに神と人生の真実、神の存在の深さと確かさを見る機会を与えられている。

聖書の信仰は、人生の中で経験する苦しみを、いちはやく忘れることよりも、そこで経験する苦しみと闇から、いかなる神の真実と愛が見えるかに重点を置く。つまり、人間あっての神ではなく、神あっての人間であり人生である。この聖なる逆転を、最も深く経験した一人の人がヨブであったと思われる。そして、ヨブが経験し、知りえたこの聖なる逆転は、何よりも礼拝を通して私たちにも現されている。「悲しむ人々は、幸いである」「義に飢え渇く人々は、幸いである」。こうした主イエスの真実の言葉への光を、礼拝は私たちにもたらしてくれるのである。

 

3.「自分を退け、悔い改める」こととしての礼拝

ヨブ記は、1、2章でヨブの実に深い信仰告白が見られる。しかし、それ以後の部分で、ヨブは友人たちとの論争を長々と繰り広げる。ヨブは、自分の正しさを主張してゆずらず、一方、友人たちは、ヨブに隠れた罪があるに違いない、そして隠されたヨブの罪が、数々の試練と苦難となってヨブを苦しめているのだ、と論じている。こうして両者の論戦は、どこまでも平行線をたどる。この果てしない平行線こそが、まことの信仰を求めてやまないヨブ記の深みを造ってゆく。友人たちの理論は、正義は良く報われ、悪は不幸な報いを受けるという因果応報いんがおうほう の信仰である。それに対して、ヨブはどこまでも自分の潔白を主張して、引き下がろうとしない。そしてついにヨブは、すべての問題を神の前に置くことになる。

ヨブの執拗しつよう な問いかけに、ついに神が現れてくださる。ヨブの問題は、人間との間では片付かない。神は、ヨブへのいたわりの言葉などなしに、いきなり嵐の中から語りかける。「腰に帯をせよ。お前に尋ねる。わたしに答えてみよ」(40章6、7節)。このような激しく厳しい神の言葉は、ヨブには意外であり、おそらく虚を突かれるような思いをいだいただろう。「軽々しくものを言った」ことを悔いている(4節)。そしてヨブは言う。「塵ちり と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます」(42章6節)。今や自分をしりぞけ、自分を捨てている。それは何を意味しているのか。何よりも神の全知全能を認め、これまで神の前で「虚勢」を張っていた過ちを悔いているのであろう。「裸で母の胎を出た」という幼子の自覚に立っている。ここにも、もうひとつの「放蕩息子の帰郷」がある。「今、この目であなたを仰ぎ見ます」(5節)。これは礼拝の完成である。神との間に、直接の交わりが与えられた恵みである。苦難が、真実の礼拝をもたらしたのである。

 

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  礼拝を学ぶ「ネヘミヤ記の礼拝 ― 御言葉に聞き入ること」  瑞浪伝道所 学びの教材 2019年5月

   ネヘミヤ記8章1~12節                          代理宣教教師 小野静雄

 

1.奉仕することで神を礼拝する

ネヘミヤ記は、イスラエルの民がペルシャの支配下にあった時代の記録である。バビロンを滅ぼしたペルシャ帝国は、イスラエルの民にエルサレム再建への道を与えると同時に、イスラエルの民を依然として臣下として支配している。ネヘミヤは、ペルシャ王アルタクセルクセスに仕える高官であった(1章11節)。エルサレム再建への道のりは決して平坦ではない。捕囚を避けてエルサレムとその周辺に残るユダの人々は、大きな苦難の中にいた。特に、エルサレムの城壁は崩れたままで、エルサレムの町も荒廃していた。この状態を伝え聞いて、ネヘミヤは非常な悲しみと苦悩の中にあった。アルタクセルクセス王が、ネヘミヤの暗い表情に気づいたことから、ネヘミヤによるエルサレムの城壁再建という事業が開始される。紀元前444年のこととされる。

数々の妨害にもかかわらず、ネヘミヤの指導のもとで城壁再建の工事が行われ、わずか52日という短期間で修復工事は完了した(6章15節)。ネヘミヤにおける「礼拝」の問題を考えるとき、城壁再建に捧げられたイスラエルの民の献身ぶりを学ぶことも、有益であると思われる。つまり、神の民の礼拝は、宗教的な儀式に参加することだけでなく、日々の勤労を通しても行われることを学ぶことができるからである。「敵を恐れるな。偉大にしておそるべき主の御名を唱えて、兄弟のため、息子のため、娘のため、妻のため、家のために戦え」。これが、城壁再建のため危険をおかして働いた人々への、ネヘミヤの激励の言葉である(4章8節)。ネヘミヤは、作業する民を二つに分け、半分が作業し、半分が敵からの攻撃に備えるよう指導している。片方の手で作業し、片方の手で投げ槍を取りながら戦いに備える作業員もいた(4章10、11節)。こうした懸命の奉仕によって、城壁の修復ははかどったのである。働くこと、同胞のために自分の体をもって奉仕すること。そこにも、たしかに神の民の礼拝がある。

 

2.神の言葉の朗読と説き明かしに耳を傾ける礼拝

ネヘミヤ記の礼拝の頂点をなすのは、8章で、祭司エズラによる律法の朗読が行われたことである。ここでの「律法」は「モーセの律法の書」つまり、創世記から申命記にいたる5巻の書物である。祭司であり書記官であるエズラは、イスラエルの会衆の前で律法の朗読に取り組んだ。「書記官エズラは、このために用意された木の壇の上に立った」(8章4節)。「木の壇」、つまり聖書朗読のための講壇について言及されるのは、聖書ではここが初めてである。おそらく粗末な木作りの壇であったに違いない。しかし、民にとって何よりも重要なことは、そこで神の言葉がひもとかれ、そして聖書が朗読され、説き明かされることである。「男も女も、聞いて理解することのできる年齢に達した者は皆いた」(8章2節)。ここでは、男女の差別も年齢の区別もない。神の言葉の前に一同が集っているのである。

「民は皆、その律法の書に耳を傾けた」(4)。ここでは、神殿での整った礼拝儀式とはまったく違う形で、聖書の朗読とその説明が行われている。ここで始まっているのは、儀式の宗教ではなく聖書に耳を傾けることへの、徹底した集中である。イスラエルの民は、今なお大きな苦難の中であえいでいる。生活は苦しく、心にも体にも平安はない。このような時に、聖書の朗読、律法の言葉の解説が、一体どんな意味があるのか。人々の間に、そのような疑問がなかっただろうか。しかし、ここにはそのことを疑う人はいない。すべての人の耳が、神の言葉の前に釘付けにされている。ここには眠る人はいない。エズラが聖書を開くと、「民は皆、立ち上がった」(5)。聖書朗読のときに、会衆が起立する習慣が、欧米の教会にいまも伝えられているという。この習慣の始まりが、もしかしてネヘミヤ記の記録に端を発しているかも知れない。

朗読と解説は、「夜明けから正午まで」続いた(8章3節)。朝の静けさに始まり、やがて太陽の照りつける昼に及んだのである。このような朗読と解説(通訳)が、8日間通して行われたのである(8章18節)。同じことが、少しの期間をおいてまた繰り返されている(9章1節)。いずれにしても、ここで重要なことは、この聖書の朗読と教えが「理解」されたことである。「民は皆、帰って、食べたり飲んだりし、備えのない者と分かち合い、大いに喜び祝った。教えられたことを理解したからである」(12節)。ヘブライ語聖書が朗読され、すでにヘブライ語を理解できない人々のために、翻訳・通訳が行われているのである。そして、翻訳とは、結局のところ「律法の説明」そのものであった(9節)。重要なことは、神の言葉の朗読とその説明が、「理解」されていることである。理解とは、言葉が届いていることである。言葉の届かない礼拝は、本来の礼拝の意味をなさない。

 

3.言葉が届くということ

言葉が届くことは、具体的にどんなことを意味するのだろうか。ネヘミヤ記8章他で明らかになることは、まず何よりも、神の言葉による「喜び」が表されることである。「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力である」(8章10節)。主を喜ぶことは、人の主な目的のうち最大のものの一つである(『ウェストミンスター小教理問答』問1)。人生の主な目的を実現するとき、人はもっとも豊かな力を受ける。これは、疑う余地のない真理であろう。人生の目的からはなれて、どんな事柄に力を入れても、それは人間としての本来の喜びにならず、そこから人生の力が湧いてくることもない。真実の喜びに至るために、私たちは何よりもまず、神の言葉の朗読と説教から、御言葉と神御自身を喜ぶ生活へと導かれてゆきたいのである。

 

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 礼拝を考える(19)「エズラ記の礼拝 ― 生の行き詰まりを打開する礼拝」  2019年4月7日 瑞浪伝道所 学び資料

      エズラ記3章1~13節                              担当 小野静雄

 

1.捕囚の試練と、再生への道は?

紀元前538年、ペルシャ王キュロスは、バビロン時代に捕囚されたイスラエルの民に、エルサレムへの帰還を命じる布告を出した。同時にキュロスは、エルサレム神殿の再建に取り掛かることを許可し、再建のために必要な種々の配慮を示したという。この命令は、歴代誌下の最後の部分に記され、さらにエズラ記の冒頭にも繰り返されている。「ペルシャの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。・・・あなたたちの中で主の民に属する者はされでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい」(エズラ記1章2、3節)。このような布告が、異邦の王によって出されたことは不可思議なことに思われる。ペルシャは広大な版図はんと をもつ帝国であるが、広い帝国を統治するために、それぞれの民族に、ある程度の自治を与えること、さらに文化や宗教についても、それぞれの伝統を守って生きることを許したのである。

エルサレムに戻った人々が、まだ生活の再建もおぼつかない中で、最初に取り組んだことは礼拝の再開である。2世代におよぶ捕囚の苦しみを味わってきた人々である。都を失い、神殿は破壊された。異邦人の中で苦難を味わい、どん底の苦しみを経験したのである。生活の苦しみ以上に、イスラエルの民が味わったのは、社会を結びつけていた全てのものを失ったことである。捕囚という試練は、見えるものを奪い去っただけでなく、それ以上に見えないものを失う経験をもたらした。深い喪失感の中で、家族、民族、文化と宗教の伝統、つまり自分が自分であるという確信がゆらいでいる。全体としての人間が崩れ、傷つき、そして荒廃しているのである。捕らわれていた人々が、エルサレムに戻ったとき、そのような痛手を回復する手立てを、どこに見出すことができるだろうか。それが問題の中心であった。

 

2.祭壇の再建と、生活の再建

エルサレム神殿の再建は、想像を超える難事業である。神殿が最終的に再建されるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。さまざまな妨害があり、工事は中断された。その間に、ペルシャ王の交代も重なり、帰還した民の指導者の、エルサレム再建への苦闘は並大抵のものではなかったと思われる。このように苦闘するイスラエルの民を励ましたのが、ハガイやゼカリアなどの預言者活動であった。「今こそ、ゼルバベルよ、勇気を出せと主は言われる。・・・働け、わたしはお前たちを共にいると万軍の主は言われる。ここにお前たちがエジプトを出たとき、わたしがお前たちと結んだ契約がある。わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない」(ハガイ書1章4、5節)。

礼拝があれば、不安と怖れのなかでも何とか生きられる。それが、神の民がそれぞれの歴史と試練の中で、繰り返し経験した恵みの事実である。エルサレムの再建という大きな事業に召された人々にとって、生活の再建と礼拝の再建は、二つにして一つの課題であったと思われる。全てを失ったいま、人間自身を取り戻すための祈りと戦いがある。しかしそれは、神と共にあるという確信なしにはあり得ないことである。どん底の、ゼロからのやり直しの生活。そのような生活の、どこに立ち直りの手がかりを見出せるか。神への祈りと礼拝いがいに、生きることへの確かな手ごたえを得ることはできない。

 

3.礼拝再建の始まりとしての「仮庵祭 かりいお さい」

神殿の再建にとりかかる際に、イスラエルの人々が献げた礼拝は、「仮庵祭」と呼ばれる特別な礼拝である。「書き記されているとおり仮庵祭を行い、定めに従って」とあるのは、レビ記23章に定められた慣習のことであろう。「あなたたちは7日の間、仮庵に住まねばならない。イスラエルの土地に生まれた者はすべて仮庵に住まねばならない。これは、わたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせたことを、あなたたちの代々よよ の人々が知るためである。わたしはあなたたちの神、主である」(42、43節)。これは、7月に行われる祭りである。イスラエルの歴史(救いの歴史)の大きな節目になる時が選ばれている。何よりも、出エジプトという苦難からの救いを、時を定めて記念し感謝するのである。こうして「時」を選び、これを聖別されるのは主ご自身である。聖別された時の中へ招かれる。それが、旧約の礼拝であり、キリスト教礼拝においても「時」の理解は、基本的に受け継がれている。

仮庵は文字どおり仮の宿であり、粗末な、急ごしらえの住まいである。8日の間、そこに住む。この粗末な住居が、荒れ野での不安な生活を思い出させてくれるのである。現代のエルサレムでも、伝統的なユダヤ教に生きる人々は、仮庵の祭りを守っているようである。石造りの普段の家を出て、急ごしらえの仮の住まい(バラック建築)に移り住む。そうすることによって、人間の本来の姿を思い起こすのであろう。荒れ野で味わった、心細く不安な一夜が、長い歴史を超えてよみがえるのかも知れない。人は、どんなにか弱い存在であることをかみ締める。強そうにしていても、もともと人は、吹きさらしの中で生きる。自分を守ってくれるものは何もない。神の助けなしには、人生は放浪であり漂流である。

今、エルサレム神殿の基礎を据えようとしているイスラエルの民は、もう一度、荒れ野の40年を深く心に刻むべきである。不安と試練の中でさ迷った日々に、イスラエルの神、主が、イスラエルを発見し、救いの道を歩ませてくださった。神の守りが約束され、神が共に歩んでくださることが、どれほど掛け替えのない恵みであるかを、仮庵での礼拝の日々は、人々の心に刻んでくれたであろう。もちろん、仮庵での礼拝がイスラエルの人々のこころに刻むのは、出エジプトの救いだけではない。バビロン捕囚で経験した悲痛な試練を、ふり返っているのである。「苦汁と欠乏の中で、貧しくさすらったときのことを、決して忘れず、覚えているからこそ、わたしの魂は沈み込んでいても、再び心を励まし、なお待ち望む」(哀歌3章19~21節)。

 

4.人生の「始まり」と「目標」としての礼拝

礼拝の始まりは、神と共に生きる将来への記念すべき一歩である。その意味で、礼拝は私たちの人生に、良い始まりを造る。人生の出発、そして新たな出発を用意してくれる。どこを出発点として生きるか。この問は、言うまでもなくきわめて重要である。人生の出発点を、はっきり捉とら えることができれば、今という時がどれほど不安と焦燥しょうそう に満ちていても、行き詰まりと不透明さに臆おく していても、必ずそこから立ち上がって、将来へと歩みだすことができる。始まりを定めてくださるのが主であれば、主は私たちの道の途上にも必ず共にいます。イスラエルの民が、捕囚から戻って、まず礼拝に取り組んだこと。そしてその礼拝が、荒れ野と捕囚という二つの試練を、はっきりこころに刻みつける「仮庵祭」の礼拝であったことは、人間の計画をはるかに超えた、神の摂理と導きだと言わねばならない。礼拝が人生の力であることを、試練の時にこそ深く体験できるのである。

神殿の基礎が据えられたとき、「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」という賛美が、叫びとなって唱和されたという(11節。特に詩篇136篇を参照)。しかし、その叫びは人々の泣く声と喜びが入り混じった、不思議な味わいの賛美でもあった。私たちが献げる礼拝にも、喜びと悲しみが混じりあうことがある。途上にある礼拝生活では、喜びと悲嘆ひたん、感謝とつぶやきが、混じりあうことが避けられない。地上の礼拝は、そのようにしてこそ、キリストにある真実な「終わり」を指し示すことができるのではないだろうか。そして、終わりのときに私たちを待っている礼拝には、もはや悲嘆もなければつぶやきもない。「神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」(ヨハネ黙示録21章3、4節)。礼拝が、人生の完成(人間性の完成)そのものであることが、ここに約束されている。日々の、そして週ごとの礼拝は、つねにこの終末と完成への道標である。

 

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    「列王記における礼拝 ― ソロモンによる神殿建築」       2019年3月の学び資料     担当 小野静雄

                               列王記上6章1~14節、23~38節 

 

 

 

1.エルサレム神殿の建築、その背景

ダビデが王位についた時から、すでにエルサレムに神殿を建築することは、この王朝の重要な課題であった。ダビデを生んだユダ族は小さな部族である。ダビデが王位についた当初は、領地も狭く、部族間にも種々の権力争いが絶えず、王位は必ずしも安定しなかった。ダビデが、イスラエルの諸部族を統一したとき、その最大の課題は、イスラエルの礼拝を一つに統一することであった。礼拝の一致と集中によって、イスラエルの宗教上の安定をはかることを願ったのである。そうすることによって、ともすれば分離しがちなイスラエルの精神的な一致を求めたということができる。しかし、ダビデ自身は、神殿建築について主の同意と許可を得ることができなかった。

その理由はいくつか挙げられている。①ダビデの「家」を堅くすえるのが主の仕事(約束)であり、主ご自身は決して自分の「家」を求めたことはない(サムエル下7章7、11節)。②ダビデがあまりに多くの血を流した人であるため、神殿建築の資格をもたない。「あなたは多くの血を流し、大きな戦争を繰り返した。わたしの前で多くの血を大地に流したからには、あなたがわたしの名のために神殿を築くことは許されない」(歴代誌上22章8節)。この二つの点が、旧約聖書が公にあげている理由である。③ダビデの子ソロモン自身の言葉として伝えられる、第3の理由はこう述べている。「父ダビデは、主が周囲の敵を彼の足の下に置かれるまで戦いに明け暮れ、その神なる主の御名のために神殿を建てることができませんでした」(列王記上5章17節)。

こうした事情のため、いわばダビデ王朝による神殿建築はふさわしい時期を得なかった。いまソロモンの治世となり、ようやく種々の事情が整ったことを、列王記上は記している。ソロモン王は、神殿だけでなく多くの大規模建築に取り組んだ人である。宮殿建築のために13年の歳月を費やしている。またエルサレムの防備のために、周辺の重要な町に砦とりで を造り、妻として迎えたエジプト王(ファラオ)の娘のためにも広壮な住居を造った。このような大規模建築が可能となったのは、ソロモンの政治、外交、軍事、交易の成果である。特に周囲の国々との貿易は、王家に巨大な富をもたらした。しかし、他方でこうした大規模な建築は、多くの費用と民の労役を必要としたため、王国の経済的な行き詰まりは、すでにソロモンの時代に現実のものとなった。

 

2.ソロモンによる神殿建築の様子

列王記6~9章には、ソロモンによる神殿建築の様子が、かなり細かく報告されている。エルサレムに建設された、そのほかの公共の建築や王の宮殿については、ほとんど具体的な記録が残されていない。神殿については、例外的に詳しい記述が見られる。列王記という書物が、エルサレム神殿の建築を非常に重視しているためである。列王記は、エルサレム神殿とそこでささげられる礼拝に、重大な関心を払っている。しかし、ここで用いられている用語や、神殿の細部が実際にどのようであったかは、あまりはっきりしないと言われる。神殿の素材として「石」が重視されている。「神殿の建築は、石切り場でよく準備された石を用いて行われた」(6章7節)のである。神殿建築の現場では、建築にともなう騒音がまったくなかったことが強調されている。神がその昔、イスラエルの民に命じた掟おきて では、主の祭壇を造る場合、「切り石」を用いてはならないと命じられていた(出エジプト記20章25節)。列王記は、この古い命令に留意しつつ、新しい解釈を加えているのである。つまり、石を切ることは構わないが、工事現場に騒音を持ち込むべきでないという理解である。

神殿の建築にあたって、ティルスの王ヒラムに資材の援助を求めている(5章17節以下)。ヒラムは資材を調達しただけでなく、神殿の備品の製作にも大きな役割を果たしている。ヒラムの父はティルス人だが母はナフタリ族の出身という(7章14節)。つまり、神殿建築の素材や技術面では、イスラエル以外の文化や伝統が用いられた。周辺諸国の技術や文化とのつながりが用いられ、しかもそれが神の栄光を汚さないことを注意深く説明しているのである。神殿は、3つの主な部分からなっている。第1は神殿の玄関にあたる部分。その左右には2本の青銅の柱が据す えられた(7章15節)。第2は、建物前面の大広間にあたる部分。ここに「海」と呼ばれる大きな水盤などが置かれた。

第3の部分が、神殿の心臓部にあたる「内陣」つまり「至聖所しせいじょ」である(6章16節)。この至聖所の最も重要な施設が、2体の「ケルビム」である(6章23節)。ケルビムの翼が、至聖所の全体を覆う。そしてその翼の下に、契約の箱が安置され、神殿建築は完了する(8章1節以下)。「ケルビムは箱のある場所の上に翼を広げ、その箱と担ぎ棒かつぎぼう の上を覆うかたちになった」(同、7節)。神殿建築の完成は、何よりも主の臨在のしるしが、神殿を満たしたことに現れている。「祭司たちが聖所から出ると、雲が主の神殿に満ちた。その雲のために祭司たちは奉仕を続けることができなかった。主の栄光が主に神殿に満ちたからである」(同、10、11節)。

 

3.       神殿建築の意味 ― 主の臨在の約束と希望

エルサレム神殿の礼拝。それを支えるのは、建築物の大きさや美しさではない。主の栄光は、ソロモンの壮麗な神殿に現れたが、出エジプト記40章の質素な幕屋完成のときにも。同様に現れたのである。イスラエルの礼拝にとって、神殿の完成はたしかにきわめて重要な意味をもっている。列王記という書物は、神殿建築という事業を、イスラエルの歴史の頂点をなすものとして描いている。つまり、この建築事業が、「出エジプト」という重大な歴史を起点として位置づけられる(6章1節)。その恵みを示すように、2本の青銅の柱は、それぞれ「ヤキン(堅固)」「ボアズ(強さ)」と名づけられている(7章21節)。つまり、この神殿を通して神はイスラエルに、安らぎと確かさを与えてくださると信じたのである。

しかし、そのような安心や安全は、神殿という建築物が自動的に約束するものではない。この神殿を通して、まことの礼拝と祈り、御言葉に従う誠実な信仰生活こそが、神殿をまことの神の宮とする。列王記は、神殿建築を歴史の頂点として描いている。だが同時に、この神殿建築を頂点として、イスラエルの歴史が明らかに下降線を描き始めることも、列王記は見逃していない。神殿建築を成し遂げたのち、ソロモンは富み栄えるが、すぐにも神への信頼を捨て、おびただしい外国人女性を愛し、それらの女性が信心する神々にも心を寄せていった(11章)。つまり、神の臨在という約束は、決して機械的ではない。立派な神殿が建築されたからといって、神の臨在が保証されるわけではない。

ソロモン自身、献堂式の礼拝で祈ったはずである。「あなたの民イスラエルが、あなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、あなたに立ち帰って御名をたたえ、この神殿で祈り、憐れみを乞うなら、あなたは天にいまして耳を傾け、あなたの民イスラエルの罪を赦し、先祖たちにお与えになった地に彼らを帰らせてください」(8章33、34節)。神の愛と、民の真実な祈りは、互いに関連し合っている。神の愛があって、民の真実が欠けることはあってはならない。その意味で、イスラエルにおける礼拝の神学は、立派な神殿の存在によりかかった結果、真実の悔い改めから離れてしまった。

列王記下の最後の箇所は、イスラエルの歴史の末期に民の多くが、バビロン王を恐れてエジプトに逃れたと記している(列王記下25章26節)。つまり、列王記の神殿理解は、決してこれを妄信する精神ではない。エレミヤのような神殿批判の預言者にも通じる、霊的に正しい神殿理解を示している。人の手で造った神殿には、決して永続的な価値はない。殉教者ステファノが説教で語ったとおりである。「いと高き方は人の手で造ったようなものにはお住みになりません」(使徒言行録7章48節)。じじつ、まことの神殿は、主イエス・キリストの十字架と復活によって、天に完成された。だから、ヨハネ黙示録が描くとおり、新しいエルサレムには、もはや神殿は存在しない。主と小羊キリストが都の神殿であり、都の門は一日中決して閉ざされていない。「そこには夜がないからである」(21章22~25節)。ハレルヤ!

 

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 「サムエル記下における礼拝 ― 神の臨在をめぐる歴史、その苦悩と喜び」

   サムエル記下6章1~23節          2019年2月 瑞浪伝道所の学び資料 担当/小野静雄

 

1.契約と、神の箱の歴史

神がイスラエルの民と結ばれた契約は、神とイスラエルの間の強い絆を約束している。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」(出エジプト記20章2、3節)。神は、イスラエルを御自分の民として選び、その選びに基づいてエジプトの苦境から彼らを導き出された。十戒の第1の戒めは、①この「主」以外のどのような神にも心を渡さない、というイスラエルからの誓約であり、②他方で、主以外のどんな神への隷属からも完全に自由であるという、主からの愛の招きである。それは戒めであると同時に、この上ない恵みの福音である。この契約にとって、さらに重要なことは、契約の絆を確かなものにするため、主がイスラエルの内に、イスラエルと共に住まわれることである。神が、イスラエルの内に御自分の住まいを定めること。それを「主の臨在」とよぶ。「わたし自ら同行し、あなたに安息を与えよう」(出エジプト記33章14節)。

神が民と共に歩み、共に進まれる。この臨在の恵みを、具体的に約束するために、神は宗教上の施設を設けることを許された。それが幕屋の建設であり、その幕屋のなかに安置されるべき「契約の箱(神の箱)」である。契約の箱の中には、神がモーセを通して与えた、律法の石の板が納められた。イスラエルの民が、荒れ野を旅したときは、レビ族の者が箱をかついだ。神の箱は、イスラエルの隊列の中央にあることもあれば、隊列の先頭に進むこともあった。神の箱に対するイスラエルの信頼は、さまざまな出来事を通して次第に篤(あつ)くなった。イスラエルがエリコの町を攻略したときには、神の箱と共にエリコを回り、角笛と鬨(とき) の声だけで堅固な城壁はくずれ落ちた。約束の地では、神の箱は「シロ」の聖所に置かれたが、祭司エリとその家が神の信任を失い、神の箱はペリシテ人に奪われてしまう。神の箱を失ったことは、「栄光はイスラエルを去った」という厳しい現実を、イスラエルの民に突きつけた(サムエル記上4章21、22節)。

 

2.神の箱をめぐるイスラエルの試練

神の箱がシロから奪われた不幸な事件は、イスラエルの民にとって、「神の臨在」という信仰がするどく試される経験でもあった。神の臨在は、けっして自動的・機械的な出来事ではない。神の言葉に対する、信頼と服従があってこそ、神の臨在の約束も確かなものとなる。神の臨在の確かさが、イスラエルの民の間で深い信頼を受けている間は、イスラエルは「王制」という人為的な手段なしに、神の共同体としてのまとまりを保つことができた。しかし、神の箱がペリシテ人に奪われる事件ののち、神の箱の場所は非常に不安定になった。神の箱は、運ばれる先々でペリシテ人に災いをもたらす(サムエル記上5章)。神の箱は、別の場所に移されるたびに、ペリシテの人々に不安と苦しみをもたらした。その事情は、神の箱がイスラエルの領土に戻された場合も同様であった。主の箱をのぞきこんだ人々は、主の手によって打たれ、住民は神の怒りを恐れて、別の町に箱の引取りを願う始末であった(同、6章19~21節)。

預言者サムエルが、成長し、預言者としての働きを始めたのは、このような時代である。つまり、神の臨在というイスラエルの信仰の基本が、はげしくゆらぎ、厳しく試される時代である。神の箱によりたのむ礼拝生活が、不安定なものとなり、そのことがイスラエルの信仰を「預言者の時代」へと推し進めることになったと考えられる。同時に、神の臨在への信頼の後退は、イスラエルの人々の中に「王国待望」の願いを強める結果にもつながった。王制に対するサムエルの警告にもかかわらず、民は王を求めてサムエルに迫った。「我々にはどうしても王が必要なのです。我々もまた、他のすべての国民と同じようになり、王が裁きを行い、王が陣頭に立って進み、我々の戦いをたたかうのです」(同、8章19、20節)。ここでは、神の箱が果たしてきた役割が、王に移されている。イスラエルは、神の臨在を中心とした民から、他の民族と同じように、権力・武力をもつ王によって支配される普通の民族になってしまうのだろうか。

 

3.ダビデ、神の箱をエルサレムに運び上げる

初代サウル王と、2代ダビデ王との熾烈しれつ な戦いが行われている間、神の箱は人々の心から忘れられていたように見える。しかし、一連の激しい戦争を終えたのち、ダビデは、神の箱をエルサレムに運び上げるため最大の努力を惜しまなかった。ペリシテ人の地から戻されて以来、神の箱は、歴史の片隅に置き忘れられた状態であった(サムエル上7章1節)。ダビデは、サウル王との激しい軍事的な衝突、さらにはペリシテ人との戦争にも勝利した。わけても「エルサレム」を「ダビデの町」として手に入れたことは、その軍事的な勝利をほぼ完全なものにすることとなった。しかし、ダビデは軍事と政治だけでは、イスラエルを統治できないことを知っていた。むしろ、ダビデ自身の信仰が、軍隊と権力機構だけの統治に満足も平安も得られなかったと言うべきであろう。都を築き、兵力と経済力を蓄えても、神の臨在がそこに約束されていなければ、エルサレムはただ地上の過ぎ行く都にすぎない。

神の箱をエルサレムに迎える。それが、ダビデの成功をほんとうの意味で確かなものにする。神の箱のあるところに、自分も留まりたい。それがダビデの深い祈りであった。後に、息子アブサロムが父に反旗をひるがえしたとき、ダビデはかろうじてエルサレムから脱出した(下、15章13、14節)。そのとき、側近の人々は、神の箱を王とともにエルサレムから運び出そうとした。しかしダビデはそれを止めて言った。「神の箱は都に戻しなさい。わたしが主の御心に適(かな)うのであれば、主はわたしを連れ戻し、神の箱とその住む所とを見せてくださるだろう。主がわたしを愛さないと言われるときは、どうかその良いと思われることをわたしに対してなさるように」(同、15章25、26節)。

神の箱を、自分の都合であちらこちらに移動することを、ダビデは拒んだ。そこには、「エルサレム」と「神の箱」のかたい結びつきへの確信があっただろう。そして、何よりも、神がすべてのことを支配される、という切実な信頼にすべてを賭(か)けているのである。エルサレムから逃げのびる途中、はだしでオリーブ山の坂道を泣きながら上るダビデを聖書は描いている(同、30節)。これほど惨めな涙は、人生のなかで滅多にないことである。主イエスが、十字架にかけられる前の夜、この坂道を上り、ゲッセマネという園まで行かれたことを、私たちは心に留めよう。惨めで、希望を失うような涙の中で、ダビデに残された希望は、いつの日か再び神の箱とその住む所(幕屋)を見せていただくことであった。礼拝者ダビデの魂の告白がここにある。神の箱をエルサレムに迎えるとき、「主の御前でダビデは力のかぎり踊った」(同、6章14節)。妻ミカルは、このダビデの姿を、軽率で、はしたないと蔑(さげす)んだが、ダビデは意に介さなかった。

 

4.イスラエルの礼拝にとって「神の箱」とは何か?

神の箱と、それが安置された幕屋は、神の臨在の約束をたしかにするための、重要な施設であった。しかし、このように特定の器、特定の施設を、神の臨在の場所としてもつことは、「世界と宇宙の創造者である神の臨在(遍在)」という聖書の信仰を、さまたげるものではないだろうか。神の箱が、臨在のしるしとされるとき、神の臨在が、一つの場所に制約されることにならないだろうか。旧約聖書の臨在の信仰は、このような懸念や疑いを無用のこことして退けている。神の箱が、幕屋や神殿に置かれたことは、神の自由と主権、いずこにもいます神の臨在の普遍性という信仰を、否定するようなものではない。むしろ、旧約聖書のすべての記録と信仰は、主なる神が全地の主であり、すべての被造物のまことのかしらであることを、くり返し明らかにしている。詩編の多くは、エルサレム神殿の礼拝と共に誕生したが、そこでは、全地にひろがる主の権威が歌われ、同時に、礼拝する魂のどのような深みへも、神の臨在が届いていることが、驚きと賛美をこめて告白されている。

歴史の激流のなかで、神の臨在のしるしとしての「神の箱」も、数々の受難を経験した。それがサムエル記下の証言である。神の臨在を、どのように経験することができるか。それは、旧約のイスラエルにとって、重大な問いかけであった。神の臨在なしに、イスラエルの民はない。臨在を通して、神はイスラエルの神としてあかしされたのである。そして、この主題は、新約における臨在、つまりイエス・キリストの受肉という全く新たな展開へとつながっている。クリスマスに、神の独り子が、肉をとって私たちの間に住まわれた。それは神の箱を用いて示された「臨在信仰」を完成するものである。しかし、キリストの受肉は、神の箱をはるかに超える。受肉されたキリストは、神の臨在をしめすだけでなく、神の生きた愛それ自身である。自由な主権者である方が、自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられた。死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(ヨハネ福音書1章14節)。人間と世界の中に、自ら来られて、私たちの間に幕屋を張った神。そこに神の臨在のまことの完成がある。新約の礼拝は、十字架と復活を経て栄光の内に昇天されたキリストの臨在を祝う祝祭である。